【二本松少年隊とは】


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【写真:霞ヶ城址二本松少年隊像】
(※隊士早見表はコチラ。)




 江戸時代から明治時代へと移りゆく時代、「江戸幕府を倒して新たな世の中を築こうとする西軍」「江戸幕府を守ろうとする東軍」との間で大きな戦が起こりました。これを「戊辰戦争」と言います。


 この戊辰戦争で東軍に属する奥州二本松藩は、財政難の中にありながらも持てる兵力を投じて徹底抗戦の構えを取ります。
 しかしながら、薩摩・長州率いる西軍は新式の銃や大砲を揃えて絶大な戦力を誇り、奥州の地に攻め入る頃には兵の数でも圧倒的なものになっていました。



 二本松藩を含め、奥州の諸藩も互いに攻守同盟を締結(奥羽列藩同盟、後に奥羽越列藩同盟)して抗いますが、西軍の戦力を前に同盟諸藩は次々に帰順降伏してしまいます。

 それでも二本松藩は最後まで戦い抜く姿勢を崩さず、敵軍が城下の目前にまで迫った慶応四年七月二十七日、藩の成人年齢を「十五歳」にまで引き下げました。

(※木瀧幸三郎の談では二十七日、水野進の談では二十六日朝とあります。が、木瀧は御両社山布陣・日野隊の所属であり、水野進は大壇口布陣・銃太郎隊の所属なので、隊によって出陣命令に若干時差があったのかも。または伝達方法による誤差か、単なる記憶違いによるものか)


 これによって、家中の十五歳以上の男子が出陣することが認められたのです。


 二本松藩には昔から「入れ年」と呼ばれる習慣があり、通常成人年齢は「二十歳」と規定されていましたが、実際には十八歳に達した時点で成人と見なされる――つまり、年齢を二歳さば読むことが黙認されていました。

 そのため、この時も入れ年で「十三歳」以上の男子が出陣を許可されることになったのです。


 こうして出陣した十三歳以上、十七歳以下の少年たちをすべてひっくるめて「二本松少年隊」といいます。



 ただし、戊辰戦争当時には「二本松少年隊」という名称は存在しませんでした。戦後五十年を経て、少年隊士の生存者である水野進(後に好之)氏が回顧して著した「二本松戊辰少年隊記」で初めて「二本松少年隊」の名称が登場しています。


※ 旧暦七月二十九日の二本松城下の戦いにおいて、大壇口に布陣した木村銃太郎率いる一隊が一般的に知られていますが、それ以外の部隊に配属された17歳以下の少年たちもすべて含めた総称が「二本松少年隊」です。



【二本松少年隊士 目次】

 ※全隊士早見表はコチラ。(別窓で開きます/個人別記事は目次からも早見表からも見られるよ)

 ・木村銃太郎(22)…「少年隊隊長」と言われる場合が多いですが、当時の記録に「隊長」とした記録はなく、「幼年兵世話役」という役目にあったと見られ、自らの砲術道場門下の少年を率いて大壇口に出陣


 ・二階堂衛守(33)…「副隊長」。但し、前述の通り当時は「幼年兵世話役」の役目にあった人物。木村銃太郎隊に所属し、銃太郎と共に少年たちを引率して大壇口に出陣


記事下部に木村銃太郎率いる大檀口出陣メンバーの一覧がありますので合わせてご参照ください


※括弧内は後の名。


【12歳】

 ・久保 豊三郎

【13歳】

 ・伊藤 孝蔵 (大谷祐利)
 ・上田 孫三郎
 ・大島 七郎 (安保七郎)
 ・岡山 篤次郎
 ・小川 安次郎 (石田英寿)
 ・加藤 犬蔵 (月岡吉則)
 ・後藤 釥太
 ・沢田 勝之介 (沢田直正)
 ・高根 源十郎 (高根正誼)
 ・高橋 辰治
 ・徳田 鉄吉
 ・成田 辰寿
 ・森 辰造 (森正実)
 ・遊佐 辰弥


【14歳】

 ・青山 卯之吉 (青山甚治)
 ・全田 熊吉
 ・木村 丈太郎
 ・鈴木 松之助 (鈴木儀蔵)
 ・高橋 七郎 (高橋種祀)
 ・武谷 剛介 (今村剛介)
 ・寺西 久太郎
 ・成田 才次郎
 ・成田 虎治 (高橋種紀)
 ・西崎 銀蔵
 ・馬場 定治
 ・堀 良輔 (堀通名)
 ・三浦 斧吉
 ・水野 進 (水野好之)
 ・宗形 幸吉 (松本英才)
 ・山岡 房次郎 (南二郎)
 ・山田 英三郎 (樽井英三郎)
 ・山田 左馬吉 (山田光尚)
 ・渡辺 駒之助


【15歳】

 ・安部井 壮蔵 (安部井香木)
 ・磯村 力 (磯村義正)
 ・大石 岩蔵
 ・奥田 午之助
 ・鹿野 寅之助 (松田正斎)
 ・木滝 幸三郎 (木滝良行)
 ・久保 鉄次郎
 ・丹羽 寅次郎
 ・平島 太郎八 (平島松尾)
 ・武藤 定助 (武藤政保)

【16歳】

 ・青山 三七郎
 ・浅見 四郎 (佐野民治)
 ・大関 勝弥
 ・上崎 鉄蔵
 ・小山 貞治
 ・下河辺 武司 (下河辺行孝)
 ・田中 三治
 ・中村 文太郎
 ・根来 梶之助
 ・松田 馬吉 (前田馬吉)
 ・三浦 行蔵
 ・毛利 亥之次郎


【17歳】

 ・岩本 清次郎
 ・大桶 勝十郎
 ・小川 又市 (小川淳)
 ・小沢 幾弥
 ・中村 久次郎
 ・松井 官治


【参考:大壇口出陣木村銃太郎隊の一覧】



 隊長:木村銃太郎

 副隊長:二階堂衛守

 以下:(久保豊三郎)、上田孫三郎、岡山篤次郎、高橋辰治、(小川安次郎)、遊佐辰弥、徳田鉄吉、後藤釥太、大島七郎、成田虎治、武谷剛介、全田熊吉、宗形幸吉、成田才次郎、(奥田午之助)、馬場定治、水野進、(久保鉄次郎)、(鈴木松之助)、木村丈太郎、渡辺駒之助、(三浦行蔵)、(大桶勝十郎)



※名前が()で括られている人物を除いて、全て銃太郎の門下生。銃太郎の門下生は十六名だった。


※出陣の時は二十三名だったものの、開戦時の点呼ではなぜか二十五名に増えていた。
 奥田午之助ははじめ高根三右衛門隊に属してたけど、布陣してた高田口が敗れて大壇口に駆け付けたものと思われ、久保兄弟も銃太郎門下の出陣を聞きつけて参じたと考えられる。配置人員の増減に関する詳細は今一つ明らかになっていない。


※因みに、たまにドラマや漫画のワンシーンで、大壇口で少年たちがバタバタ死んでるシーンがあったりするけど、隊長銃太郎を除けば、大壇口での戦死は「奥田午之助」一人だけです。
 戦死者に数えられている少年たちは、大壇口から撤退した後で散り散りになり、様々な場所で各人が敵に斬り込むなどして戦死を遂げています。




【おまけ】
 岡山篤次郎を主人公にした歴史短編小説、「散華―二本松少年隊・岡山篤次郎―」も合わせて読んでみてね!(宣伝入ったァァァア)
 篤次郎の逸話を中心に、大壇口布陣の木村銃太郎門下の隊がどう戦ったか、その辺も郷土史に伝わる内容に沿って描いてあるよ!




【二本松少年隊隊士一覧&目次】

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