紹介記事ばかりだと更新頻度にえらく波が出来ることに気付きました。
管理人です、どうもお久し振りです!
というわけで、休日はもっぱら寺社散策などをしているので、たまにはそういったものも載せますか……と考えた次第であります。
記事の印象からアホな管理人だと思われる方も多いでしょうけど、ふざけてばっかりいるわけじゃないんですよwww
それなりに真面目に勉強はしてるんですよw
管理人がアホであることは否定しないけどね…!
というわけで、世間ではゴールデンウィークも後半に差し掛かりましたが、管理人は師匠(って一口に言っちゃうけどその道の大先生です)宅へ遊びに行っておりました(●´∀`●)
こんな未熟者の質問一つ一つにも丁寧に答えを説いてくれる、優しく素敵な、大好きな師匠です(*n゚∀゚n*)
その流れで、玉ノ井村玉泉寺へ行って参りました。
ここは戊辰戦争当時、野戦病院となっていたお寺さんです。
なに? 逆光がすごいって?
ふはっww すいませんwww
ここでは二本松少年隊の中に数えられる、久保豊三郎・久保鉄次郎兄弟が戦病死しています。
二人の御墓もここ玉泉寺にあり、手を合わせてまいりました。
(久保兄弟についてはリンク先に説明があるので省くよ!)
※少年隊士の岡山篤次郎が運び込まれた野戦病院は二本松城下の称念寺だから、この玉泉寺とは別の場所だよ~。
次に訪れたのが、同じく玉ノ井村にある戦死三十一人の墓。
ここでは二本松藩士・松本織之助が戦死しています。(母成峠の碑にも松本織之助の名が刻まれてるけど、実際の戦死地はココ・玉ノ井山入です)
他に会津藩・伝習隊第二大隊の兵もこの地で戦没していますが、まあそこらへんは数も多いので割愛とさせていただきましょう。
玉ノ井村の戦は慶応4年8月20日、二本松城落城後の戦だよ。
二本松城奪還を目指して西軍を相手に奮戦するも敗走、そして母成峠の戦へ……となるわけですな。
※墓碑が傾いてるのは地震の影響です……(´;ω;`)
というわけで、書いてたらもう夜中になっちゃったので今日はこの辺でー。(●´ω`●)
最後に、こんな未熟者に付き合って下さった師匠に最大級の感謝を…。
いよいよ八重の桜に登場しますが、二本松藩初心者の男目線で感じる事は新選組新選組と騒いでる人達が二本松戦争を知って何を思い感じるか?ハートに風穴を開ける勢いで、許す限りありのままの二本松藩の放送を期待したいですな…超個人的期待