職制4 山奉行




 はい、山奉行!!


 職制カテゴリの記事、家老郡代城代ときて、なんでいきなり山奉行なんだよ……とお思いの方も多いでしょうが、まあまあそこはそれ。

 気の向いたところから更新する――、それがここの管理人クオリティです。





 藩政末期、山奉行の職に就いていたのは、岡山持(130石)、南部権之丞(100石)。
 (山奉行の定員は通常2名で、家老の発令によって任命されます)



 岡山持さんは、二本松少年隊の一人として名の残る「岡山篤次郎」のお父さんです。


 この山奉行というのは、まんま山林を管轄するお役人さんのこと。


 藩有林の管理はもちろん、私有林伐採時の許可検分、私有林からの上納木材の管理などなど。
 読んで字の通り、山林・木材に関することがお役目だよ。




 藩有林には、内山(保安林)や争論山(領民同士で争論となって、どちらにも確証がないためどっちつかずになり、結局上納された山)など、いくつか種類がありました。

 そんな藩有林のすべてを指す、「御林」という言葉があったそうです。


 山奉行さんの下にはさらに「山守」という職があって、御林(藩有林)が存在する村ごとに1~2名配置されていたといいます。



 それ以外には、「野火廻り」「山番」といった臨時職がありましたが、これは足軽(藩卒)が職務に当たったそう。臨時の見回りや見張りをしてたみたいだよ。


 さらに下には日雇いの木こり(昔は杣《そま》と言った)がいて、実際に御林の手入れや伐採を行ったのは、こうした日雇人足だったわけだね。







 さて、因みにこんな話も。



 この頃二本松藩では、私有林の所有者は、山の立木を伐採する時には藩に申し出て許可を貰わないといけませんでした。

 自分の山でも、勝手に木を切っちゃいけませんよーってことだったんですね。

 なぜなら、私有林を伐採したら、山林所有者は伐採した木材のうち良質な約半分の木材を藩に納めること! っていう決まりがあったんですね。

 藩から伐採の許可が出ると、山奉行が雇い入れた木こりさんを引き連れて、私有林に出向くんです。

 が。

 この時、当時らしさというか、そういうご時世だったというか、暗黙の了解みたいなね、そういうのはまあ、やっぱりあったらしいです。

 私有林伐採の時、所有者は山奉行をおもてなしするわけだ。

 お座敷で酒食のおもてなしをね。

 ついでにちょっとお土産なんかも渡しちゃったりして。

 んで、それから伐採した木材を検分し始める。






山奉行「おっまえなぁー、もー、普段どんな手入れしてんだよ~。コレじゃ上納木材としてはイマイチなんだよなぁー(・∀・)」


所有者「ヘッヘェ( へωへ`*) これは申し訳ねー」


山奉行「んもー、しょうがねえなぁ。今回は上納しなくていいよ! だってこんなの使えねーもん☆ 次はちゃんと入念に手入れしといてよねっ(ゝω・)☆」


所有者「( へωへ`*)フヘヘ、しかと承りィ!」






 本当なら伐採したうちの半分を藩に持ってかれちゃうところを、暗黙の了解で非課税に……!!


 恐るべし、接待の威力。





 現代ではとても考えらんないよね! 贈収賄だ何だと騒がれる事態になりそう。


 と言ってもそこはまあ、昔はこんなの日常茶飯事だったっぽいです。

 これに限らず、息子が成人して番入する時なんかも、親は息子の直属の上司になる人に挨拶として幾らか心付けを渡すのが普通だったりもしたわけだし。

 代官なども年貢米の徴収において目こぼししたりしていたもので、むしろキッチリしすぎると村人からはひそかに悪代官扱いされてしまいますし、あまりに民からの評判が悪ければ御役御免となってしまう可能性すらあります。
 
 この山奉行も領民との距離が近い分、そうやってバランスを取っていたのでしょう。

 あとちょっと補足すると、山林関係のお役人さんには「山同心」なんていうのもあるんだけど、職務内容的には基本的に山奉行と同じ。

 但し、山同心の場合は定員8名で、郡代が指名する職だよっていう違いはあるけれど。

 組織図的に位置が異なるだけで、山奉行と山同心ていうのはさほど大きな違いはなかったようです(●´ω`●)





【職制4・山奉行】

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