久保豊三郎
久保与十郎(軍事調役/90石)の三男。
久保鉄次郎(※後述)の弟。
諱:常忠
生:安政四年(年齢より逆算)
没:明治元年十一月一日
享年:十二歳
墓所:玉泉寺
法号:清涼院雪誉養林居士
***
久保鉄次郎
久保与十郎(軍事調役/90石)の二男。
久保豊三郎(※前述)の兄。
諱:常智
生:安政元年(年齢より逆算)
没:明治元年十二月六日
享年:十五歳
墓所:玉泉寺
法号:寒麟院奇誉良瑞居士
***
また二人まとめちゃったよ!
でも豊三郎と鉄次郎は兄弟だけあって、互いの関わりが濃いから、まあしょうがないよ!(言い訳)
まず、久保豊三郎。二本松少年隊の中でも最年少者です。
当時12歳。数えで12歳ですから、今でいう10~11歳、小学校高学年くらいの年齢です。
戊辰戦争において、二本松藩は最終的に「15歳以上(入れ年で13歳以上)」の出陣を許可しています。
出陣命令が出されたのは、西軍がいよいよ迫ってきた七月下旬のこと。
豊三郎、この時12歳。
ぎりぎりでアウトです。
二本松藩の秘儀・入れ年を駆使しても出陣の許可は貰えません。
「おれも出陣したいー!」
って言ったところで、お城の御家老も
「はい、ブー!! 君ちっちゃいからブー! アウトー!」
って言っちゃう年齢です。(管理人の抱く家老像は少々歪んでおります)
従って、豊三郎の出陣については正式な達しがあってのものではありません。
豊三郎の兄・鉄次郎は、この時まだ15歳でしたが、木村銃太郎門下生たちよりも一足早く「大谷鳴海隊」に所属して出陣していました。
大谷鳴海隊は白河戦争から参戦し、以後、徐々に城下へと押し返されるように転戦してきています。
鉄次郎は鳴海隊の大砲方に所属し、七月二十七日の本宮戦(高木村)で敵の至近弾にあたり負傷。
午後三時頃に一度帰宅し、鉄次郎は負傷のためにそのまま床についたそう。
鉄次郎は病床で、弟の豊三郎が友達の女の子と遊んでいるのを眺めていたそうです。
するとそこに、高橋辰治(13歳・木村銃太郎の門下生)がやってきました。
辰治「おれらも木村の若先生と一緒に出陣することになったよーーー! ヒャッフゥゥゥ!」
豊三郎「えええぇぇぇえ、まじかよ、いいなぁいいなぁ! おれも出陣したーいぃぃぃ!」
辰治「でもおまえはまだ歳一個足りないじゃん! だめだめ、お子様は大人しく待ってなさい( ´,_ゝ`)」
豊三郎「たっちゃんだってお子様やないか」
辰治「おれはいいの、大人なの。コーヒーとかブラックいけちゃうくらい大人なの」
豊三郎「くっそ、大人の階段登りやがって……」
そして、豊三郎は自分も出陣したいと母親にゴネまくります。
歳も近く親しい仲間がみんな戦場へ出て行くのが羨ましく思えたのでしょう。
しかし
「おまえのような幼い子が行ったら、他の皆さんのお邪魔になるでしょ、いけません!」
と、お母さんは大反対。
しかしそれでも食い下がる豊三郎に、母もとうとう根負け。
「戦場を見れば恐ろしくなってすぐに帰ってくるだろう」
と、致し方なく、下男をつけて送り出したそうです。
そんな弟の姿を見ていた兄・鉄次郎も、負傷した身体で豊三郎を追って大壇口へと向かったそうです。(但し、鉄次郎が先に大壇口へ向かったので、豊三郎が兄の後を追って出陣したという説も有)
ところで、余談を挟みますが。
「二本松小学校百年史」に、
久保兄弟の母が
「腹の切り方はよく教えてあるはずだ。縛り首になってはいけない。敵の大将と見たら刺し違えて家名を挙げなさい」
と、「豊三郎」に言い聞かせ、二度と会えないであろう我が子の後ろ姿に、母は合掌して見送った。
とかいう話が載っているらしいと読んだことがあります。
……。
それ、鉄次郎が鳴海隊に所属して出陣する時の話じゃないの……?
正式に藩から出陣許可が降りたわけでもない豊三郎に、お母さんはそんなこと言わないんじゃないか……
さて、大壇口に出陣したこの兄弟。
豊三郎は大壇口で軽傷を負い、落城後は岳温泉木之根坂経由で会津へ落ち延び、会津の丸山四郎左衛門家で保養。その後再び会津から二本松へ向かっています。
しかしその途中で破傷風のために高熱を出してしまった豊三郎。
玉ノ井玉泉寺に設けられていた野戦病院に収容されました。
この玉泉寺の野戦病院には、この時、兄の鉄次郎も収容されていました。(落城後の鉄次郎の足跡は未だ判明せず)
しかし、同じ時に同じ病院に入院していたにも関わらず、兄弟は同病院で没するまで、互いにその事実を知ることもなく、会うこともありませんでした。
【玉泉寺 久保豊三郎・久保鉄次郎 墓所】
久保豊三郎、明治元年十一月一日没。享年十二歳。
久保鉄次郎、明治元年十二月六日没。享年十五歳。
鉄次郎・豊三郎の兄弟は、互いにすごくよく似ていたそうです。
また、二人の兄は「猪之吉(諱を常保)(しかし「常吉」って書いた本もある)」といい、久保与十郎の長男にあたります。
(ほんというと常保兄さんの上にもう一人男児がいたけど、早世してしまっているので長男でいいと思います!)
(思いますってあんた)
この常保兄さんの子が、久保猪之吉博士です。(知っている人は果たしているのか)(医学博士だよ)
猪之吉博士から見れば、鉄次郎・豊三郎兄弟は叔父にあたるわけですね。
ところで豊三郎についてたはずの下男はどこ行ったんですかね。
【久保豊三郎・久保鉄次郎/終】