日影の井
現在県立自然公園となっている、二本松城(=霞ヶ城)。
小高い山の山頂に戦国期の城跡(畠山氏)が、同じ山の麓には江戸期の城跡(丹羽氏)があるので、地元では「お城山」と呼ばれ、市民に親しまれています。
この「お城山」の中腹には、「日陰の井」と呼ばれる井戸があります。(字は「日陰」とも)
【写真:日影の井(2005年夏撮影)】
【写真:日影の井戸全体(2013年早春撮影)】
※上の写真があんまりにも古いんで撮り直したよww
この井戸は、戦国畠山家時代からあるとされています。
注:井戸だからって別に中から何かが這い上がってくるわけではありません。
この井戸、さりげなく、「日本三井」の一つです。
他の二つはどこにあんねん! って心の中で突っ込んだそこのあなた。
「日本三井」とは
・千葉県印西市の「月影の井」
※「ちばの観光まるごと紹介」さんのページにリンクしています。同TOPページはこちら
・神奈川県鎌倉市の「星の井(星影の井/星月の井/星月夜の井)」
・福島県二本松市の「日影の井(日の井)」
の、三つの井戸であるとされています。
テストには出ませんが、覚えてくれたらとても喜ぶと思います。
井戸が。(馬鹿な)
昭和初期に月影の井の縁起由来が二本松で初めて知られるまでは、地元では「底なし井戸」って呼ばれていたんだとか。
または「ひのゐ」(=日の井)と呼ばれていたそう。
昔からある井戸っていうのは、何かと噂話が付きやすいものなんですかね~。
「落城の時に宝物を投げ込んだ」とか、
「有事の際に使う抜け穴がある」とか。
古井戸のロマンです。
ちょっと覗いてみたくなるじゃないですか?
ほー、どれどれ?(´∀`)
【写真:日影の井戸内部(2013年早春撮影)】
天気の良い日でしたので、井戸の水面に木々や青空が映り、まるで鏡のよう。
ちなみに写真でお解りでしょうが、井戸には格子と金網が張られています。
日影の井は、明治30年代(二本松城址に製糸工場があった頃)に井戸払いされてますが、少なくともその時のお話では井戸に宝物はなかったようです。
所詮、噂は噂でしかなかったということですな。
(ロマンぶん投げといて即否定とか申し訳なかですね…)
因みに井戸の内部に実際抜け道となり得るような穴が発見された、という話も現在まで聞いたことはありませぬ。
が。
この井戸が戦国時代から存在していたことと、当時の二本松城(戦国期には霧ヶ城って呼んでたよ!)の規模の大きさを考えたら、大昔にはこの井戸が抜け穴として整備され、横穴がどこかへ続いていた可能性も、完全に否定してしまうことは出来ないかもしれませんね(´∀`*)ウフフ
井戸はまず垂直に七間の深さがあり、そこから水平に八間、横穴が続いているそう。
おお、なんかけっこうでかいじゃないの、日影の井戸……。
日影の井戸の水量は多く、内部は霧が降るような湧水量だったそうな。
そんな井戸あったら籠城も(水に関しては)余裕じゃね? っていう……。
日影の井は昔から城の暮らしを支えつつ、二度の落城(一度目は畠山家時代、二度目は幕末の丹羽家時代)を見てきたんですね。
最近井戸の内部を調査したとか水払いしたって話もとんと聞かないので、現在内部がどうなっているかは判然としませんが、少し目を向けただけでもえらく想像の掻き立てられる井戸です。
この井戸に通じる散策路には、初夏になると綺麗な紫陽花が咲いています。(*´∀`*)