敬学館教授方(戊辰当時)



 慶応四年(戊辰当時)の敬学館教師陣をさくっとまとめてみました。

 ※関連記事:藩校「敬学館」




★ 藩校教授方(戊辰当時)


○儒者

・三谷興之助 (諱:恒、号:恒斎/70石/当時54歳)
・堀江仁蔵 (諱:章、号:半峰/200石/当時50歳)
・堀退蔵 (初名:長蔵、号:六石/100石/当時46歳)
・渡邊新助 (諱:淵、号:梅窓/65石/当時31歳)
・高橋理助 (諱:環、号:西溪/65石/当時38歳)
・服部半十郎 (号:洞城/100石/当時54歳)


○兵学者

【山鹿流】
・小川平助 (諱:興孝/280石/当時48歳)


○剣術

【忠哉派一刀流】
・根来傳右衛門 (諱:正連/150石/当時59歳)
 ※藩校教授とは別に、藩主丹羽長国公の師範も務めてたよ。

【小野派一刀流】
・日夏孫兵衛 (諱:高幸、字:弘道/60石/当時51歳)

【林崎流】
・中川文右衛門 (諱:本徳/200石/当時41歳)

【影流】
・遊佐孫九郎 (諱:保興/60石/当時69歳)


○槍術

【伊東流】
・山本彦右衛門 (諱:軌政/?石)
・伊東仙左衛門 (詳細不明/150石)
 ※伊東流の師範さんたちは、なんかちょっと不明点が多いよ…!

【宝蔵院流】
・土肥庄介 (諱:実善/100石/当時39歳)


○砲術

【外記流】
・斎藤彦之進 (80石/当時37歳)

【武衛流】
木村貫治 (諱:貞次/65石/当時46歳)


※「二本松藩史」には戊辰当時の武衛流砲術師範として渡辺孫市の名前もあったんですが、渡邊孫市(貫)は安政6年に没してるんですよね~。じゃあ孫市(貫)の子どもか!? って思って調べたら、貫の子である孫市(勉)は戊辰当時18歳だし……。18歳で師範って、ちょっと考えにくくね? って思ったので勝手に割愛します。


○柔術

【揚心流】
・今泉理左衛門 (諱:知綱/100石/当時41歳)


○弓術

【日置流印西派】
・桑原六之丞 (諱:景迪?/85石)
 ※桑原さんちも戊辰当時藩校教授だったかどうかちょっと怪しいです。六之丞景迪は確かに門弟も多く、藩校教授方も務めたようですが、慶応3年に60歳で没しています。
・名幡仙右衛門 (諱:景之/100石)
・原兵右衛門 (100石/当時47歳)
 ※二本松藩史には兵右衛門でなく「原久太夫」とあったが、久太夫は文久2年に没しているので、恐らく戊辰当時に師範だったのは嫡子の兵右衛門だったろうと思われます。

【日置流雪花派】
・花澤彦八郎 (諱:信発/150石/当時56歳)


○書家

【唐様】
・石田惣兵衛 (字:英華、号:石叟、鳳溪/180石/当時53歳)
・武谷半左衛門 (諱:貫、号:嘯雲、慧堂/70石/当時55歳)

【御家流】
・菊池眞澄 (通称:貫一郎/当時38歳)

【荒木流】
・大沢半右衛門 (諱:成相、号:対鴎/80石/当時49歳)

【山本流】
・橋本幸左衛門 (号:楽州/65石/当時60歳)
・杉内萬歳門 (号:鶴峰、清泉/80石)
 他


○医師

・関屋里美 (号:文白、※関屋家九代/280石/当時26歳)
・小此木玄智 (諱:利弦/150石/当時52歳)
・遠藤雲達 (150石/当時31歳)
 ※藩史には「遠藤雲澤」とあったが、雲澤の通称を名乗った遠藤家当主は元治元年に没してる。雲澤の嫡子雲揚も天保九年に既に没してるため、雲澤没後に大島家からの婿養子(雲揚の娘に配す)である雲達氏が、戊辰当時の遠藤家当主だと思われる。
・服部恭安 (70石/当時41歳)
 他


     ***


※藩校教師陣一覧は管理人調べなので、これが100%正しい! とは言い切れません。自信のない部分がちらっとあります(※で注釈入れてるとことか)。

 なので、あくまで参考程度にご覧下さい

 あと、藩校教授方だけでゴハン食べてた人は殆どいません。他の役職と兼任していたり、藩校の他に自分で道場を開いて教えていたりするので注意だよ~。



【敬学館教授方(戊辰当時)】

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