職制(3・城代、番頭)
職制第三弾の記事でっせ。
● 大城代
はい、これがまた、郡代や番頭に並んで、家老に次ぐ重役さんです。
大城代、というのは政務とは離れて軍事面での最高責任者になります。
大城代に就任することが出来るのは、やはり五百石以上の人だけ。
職名に「城」という字の含まれているとおり、城を管理する役目を担っています。
お城、それは即ち、戦の折には最重要且つ最後の砦たるもの。
その為、常日頃からの城の管理・修繕に携わるお役目です。
他、軍事には欠かせない武器弾薬などの軍事用品や、兵糧(食料)の調達や管理など、まさに戦の要となる役どころ。
幕末時の二本松藩では内藤四郎兵衛さんがこの役職についていました。
大城代の定員は一名限り。軍事関連の代表ですからね!
ですが、一口に軍事関連とは言っても、管理の幅は多岐にわたります。
たった一人でその全てを担うのには少々無理がありますから、大城代の下に、「城代」という補佐的役職がつくわけです。
この城代、または「小城代」とも呼称する場合もあります。
幕末当時の二本松藩の小城代は二名。
丹羽和左衛門さんと服部久左衛門さんが城代の位置にあり、内藤さんの補佐役を務めていました。
戊辰戦争にて二本松城落城の際には、大城代・小城代の三名全てが最後まで城に残り、小城代二人は城の自焼と共に自尽しています。
また、大城代の内藤さんの場合は、二本松城を取り囲む敵軍の中に斬りこみ、戦死。
三名ともが城の責任者として、城そのものと命運を共にしたわけですね。
因みに城代の場合は家老や郡代とは異なり、月番制はなく、常勤でした。
この城代の系列でどんどん下に掘り下げていくと、軍事奉行などが出てくるわけですね。
後は、戦時のみに臨時増設される役職もあって、その例を挙げると「兵糧奉行」だとか「監察」なんていうお役目もあります。
● 番頭
さてさて、郡代・大城代と並ぶ重職。
番頭ですが。
城代が軍事の管理職ならば、こちらの番頭は、主に実戦部隊の指揮官ですね。
この番頭も、基本から五百石以上の禄を受けている大身でなければ就くことができません。
実戦担当の部隊と言っても、兵卒の身分も様々ありますが、この番頭がまとめるのは、「士分を持つ兵で組織された軍隊」。
逆に言えば、番頭が指揮する部隊の兵卒は全員「士分」を持っていなければならない、とゆーことになりますね。
幕末期の二本松藩では番頭は八名。
「番組」として振り分け組織された軍隊を、各々が一番組ずつ預かることになります。
一番組から八番組まであるので、全八名。……なのですが、幕末よりももっと古い時代には九番組まであったようです。
幕末時の編成は以下の通り。
・第一番組 本山大助
・第二番組 日野大内蔵
・第三番組 樽井弥五左衛門
・第四番組 種橋主馬介
・第五番組 大谷鳴海
・第六番組 大谷与兵衛
・第七番組 高根三右衛門
・第八番組 丹羽右近
余談ですが、戊辰戦争二本松城下戦で大壇口の守備に当ったのは第八番組丹羽右近隊で、木村銃太郎門下の少年たちは丹羽右近隊の大砲方として出陣しました。
(一般に「二本松少年隊」と言えばこの木村銃太郎門下で大壇口守備に出陣した子どもたちを指すことが多いですが、その他の組に配属された17歳以下の少年たちも多く存在しており、それらすべての少年たちを含めて「二本松少年隊」です。誤解なきよう追記しときます。)
身分の低い足軽(藩卒)などの隊長は「物頭」あるいは「先手物頭」と言って、その物頭自体も番頭の下に配属される形になります。