職制 2・郡代
城代、番頭、と並んで家老に次ぐ重役ポジション。それが郡代。
これらの職が、藩政上のナンバー3ですね。
郡代の定員数はだいたい3~4人程度ですが、直接領内各地域の政治や政務に携わるわけではないので、定員はごく少数です。
さて。
郡代とは何ぞや。
郡代とは、行政事務を統轄する役職です。
簡単に言ってしまえば、この郡代の配下に属する「郡奉行」やら「町奉行」などを監視監督するのがお仕事です。
郡代のすぐ下に配置されているのが、「郡奉行」「町奉行」ですが、この二つは任務の内容が異なっています。
※戊辰当時の郡代
・植木次郎右衛門 (諱:尚賢/400石)
・梅原新吾 (100石 外格料55石、込高95石)
・崎田傳右衛門 (諱:良一/150石 外格料55石、込高45石)
※但し軍事奉行と御用人を兼任。
・羽木権蔵 (諱:貞守/280石)
・丹羽新十郎 (諱:正名、茂正/250石)
※但し郡奉行郡代心得。つまり見習い。戊辰戦争突入時期になってから正式に郡代となったようです。あと御用人も兼任。
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郡奉行(定員は郡代同様に3~4人)が担うのは、領内の政務。
この郡奉行の下に、代官がいて、さらにその下に名主や村役人がいます。
よく時代劇で聞く、お奉行様とかお代官様とかですね。
なお、郡奉行は、各地域の政治には直接的に関わることはありません。
一つランクの高い郡代の監視を受けているとはいえ、実際には郡奉行も代官やら村役人の監視をするというお役目です。
さて、じゃあ直接の政治を行うのは誰? てことになりますと……
これがお代官様の役目なんですね。
民から年貢を徴収する、なんていうポピュラーなお仕事も、代官が取り纏めます。
名主や村役人は各地域の責任者であり、村内の者がみんなきちんと年貢を払えなかったりすると、不払の者と同等に処罰されることもあったようです。
お奉行様&お代官様と、名主&村役人の間はかなり差が開いているようですね!
そりゃあお奉行様とお代官様も結託しますわな! あっすみません、話がそれました!
二本松藩の場合は、領内を全11組に分割して管理しており、各地域に一人ずつ代官が駐在していました。
※戊辰当時の郡奉行
・浅見競 (80石 外格料40石、込高30石)
・上田唱 (150石)
・遠藤段介 (100石 外格料40石、込高10石)
・篠沢甚五兵衛 (150石)
※戊辰当時の代官
・針道組代官=青木平太左衛門(100石)
・大槻組代官=伊藤市兵衛(150石)
・杉田組代官=岩本名左衛門(65石)
・八丁目組代官=宇田要八(80石)
・糠沢組代官=笠間一之進(70石)
・郡山組代官=鹿野兵左衛門(200石)
・玉ノ井組代官=木本栄(200石)
・本宮組代官=設楽弥兵衛(100石)
・片平組代官=長岡平左衛門(85石)
・小浜組代官=中澤鼎(160石)
・渋川組代官=堀次郎太夫(70石)
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さて、では今度は「町奉行」をば。
町奉行、これもまた時代劇ではよく耳にするお役目ですね!
ひっ捕らえた下手人を白洲に引き出して、華麗なるお裁きを……、というようなイメージからもお分かりの通り、町奉行、これ即ち、「司法官」「裁判官」のようなものです。
領内の治安を守るため、悪人を裁きにかけて懲罰を与える。
そんな素敵な町奉行、二本松藩では二名。
勿論、たった二人で治安を維持できるわけがないですね。
町奉行は、その部下である与力・同心などからの報告をもとに、嫌疑をかけられた人を裁く役目。
実際に捕り物に出るのは、同心の配下に属する「目明し」。いわゆる「岡っ引き」の皆さんです。
このあたりにまで来ると、もう定員とかありません。
諜報活動をする人もいますし、その多くが、家業の片手間に副業として極秘裏に動いていたりします。
それゆえ、同心くらいまでくると、もうお給料なんて雀の涙です。 子供のお小遣いみたいなものです。もしかするとそれ以下かもしれません。
※戊辰当時の町奉行
・大谷次郎左衛門 (100石 外格料40石、込高60石)
・錦見丈左衛門 (70石 外格料40石、込高90石)
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と、このよーに行政から司法に至るまで、領内の政治のすべてを統轄しているのが、「郡代」となるわけですね。
町奉行までで手に負えない事件があったりすると、郡代が直接裁きをすることもあったりしました。
郡代の手を煩わせるまでに、これだけの階層を経るんですね。
そんなわけで、この郡代も、勤務形態は「月番」でした。(「月番」=家老の項目を参照)