大谷 武
 
 大谷治右衛門元実(竹木元方役/100石)の嫡男。
 妻は渡辺孫市貫(砲術家)の娘。
 長男に大谷元良(慶応元年2月15日生れ)。
 
 諱:元次
 幼名:亘
 通称:金平、武、後に武次、又は竹治、武治
 号:清香
 家紋:三ツ巴
 職名等:長国公近習、御小姓目付
 俸禄:宗領無足四人口
 没年:明治8年9月20日
 享年:34歳
 墓所:光覚寺
 法号:正定院釋清居士(寺院物語参考)
 備考:画(根本愚州に学ぶ)
 
   *** 
 

「いまさらに いくべきかたも おもほえず 花なき鳥の 心地のみして」

 
 あまりにも美しく、切なく、哀しい歌があります。
 
 二本松藩主・丹羽長国公の近習であり、維新後も長国公に近侍し続けた大谷武元次さんが、明治4年の廃藩を機に東京へ移住することとなった主君へ向けて詠んだ、惜別の歌です。
 読んでいるこちらが泣いてしまうような、その心情が痛いほどに伝わる歌。
 
 武さんは実際、歌人としても名高く、その詠歌は明治歌集の選歌にも入っておられます。
 あと、この歌の通り、本っっ当に殿大好きだったんじゃないかと勝手ながら思っています。

 
「いくべきかたもおもほえず」は、資料には「行くべきかた」となってるんですが、
 単純に音にしたら二通りの解釈が可能なので、ひらがなで載せてみました。


「行くべきかたもおもほえず」=今更どこに行けばよいのか……的なのと、


「いくべきかたもおもほえず」=もう生きていける気がしないよ……的なの。


 個人的には後者がいいです。(完全に個人の趣味ですすみません)
 

 ただしこの歌、二本松藩史と二本松藩士人名辞典とでは語句に若干の違いがありまして。

 藩史だと「花なき鳥」なんですが、人名辞典では「花なき里」となっています。

 さて、どっちが本当なのか。
 ここも個人的な好みを言うと鳥がいいです……! (完全に個人の以下略)
 
 
 その他、大谷武(号:清香)氏詠歌は下記。
 
「墨田川 花よりしらむ あけぼのに また夜を残す きしの青柳」
「疾きものは 月日なりけり 咲くと見し 花も夢野の 秋の初風」
 
 
 和歌とかドが100個ついても足りないくらいの素人なので、どこのどういうところが素晴らしいとかそういう御託は並べらんないですし、大概無教養な筆者ですが、この方の詠歌には本当に本当に、胸を射抜かれた思いがしました。

 特に「いまさらに~」の歌はご本人の想いが全力で乗っかっていて、資料で歌見て泣きました。(本当に泣いた)
 
 いや、二本松藩の場合、他に戦死とか自尽とかの、有り体に言って泣けるよねっていうエピソードはてんこもりで、涙を誘う逸話等々に関してはある意味だんだん麻痺してくるんですけど……


 武さんの歌だけはアカンかった……何ですかこの威力。


 もうまんまと心を盗まれてしまい、なんだもう……好きだ!!

 大っっっ好きだよアアアアア……!!! /(^o^)\


 和歌の一首で惚れさすとか、なんておそろしい子…!

 

 和歌で人を射抜く才をお持ちの武さんなんですけど(ねえ語弊…)、武芸のほうの弓も本当にお得意だったようです。
 加えて幼い頃から学問を好み、書画にも秀でておられたようなので、やっぱり文武両道。
 
 また、書画については、根本愚州(二本松藩お抱え絵師)に学んだとのことで、二本松万古焼の絵付けもしていたようです。
 でも「二本松万古焼の話(二本松史談会編)」によれば、武さんの描いたものは残念ながらほぼ現存していないようです拝見した過ぎて泣いた。(;д;)
 推しを偲ぶよすがが足りない…!
 

 「人となり温良(穏やかで素直)にして閑雅(風流でしとやか、上品、優雅)」と藩史中の人物伝に紹介されています。


 はい、好きー。

 はい、もう好きー。

 もう好き以外の感情持てないー。
 


 武さん戊辰戦争時には既に妻帯しており、慶応元年には男児(後の大谷元良氏)も誕生しています。

 長国公とお別れした後、武さんは若松県や福島県に出仕していたりもしたようですが、主君との離別から4年後の明治8年9月に亡くなられてしまいます。
 僅か34歳。
 あまりに早過ぎる……。


 早くに父上と死に別れてしまった御子息の元良さんは、後に医学の道を歩むことになります。
 お父様(武さん)の早過ぎる死が、元良さんのその後に、少なからず影響していたのではないかと思っております。

 御子息の元良氏は田村玄泰の医門に学び、明治20年1月に東京へ出て済生学舎、21年6月東京医学院、また内科外科産科の実地を経て、24年2月公立本宮病院へ聘せられ、さらに後、松川町(現福島市松川)で内科外科眼科の診療科を掲げ開業するに至ります。

 元良氏も竹内東仙について詩文を講じるなど、ああーやっぱり武さんの御血筋ね……と思うことが紹介されていて、フフフってなりました。

 その資性についても「誠実誠意、熱心博愛、沈毅果断」と紹介されていて、ここでもまた、ああーやっぱり武さんの以下同文。

 しかし元良さん、ご本人は昭和15年(76歳)までご存命でいらしたのですが、元良妻・キクさんも大正10年に49歳で亡くなられており、また男児には恵まれなかったようです。
 為に、養子(誠さん)を取り、跡を継がせたご様子にございます。


 あとついでなので補足に加えますが……
 武(元次)さんの御父上、治右衛門(元実)さんは明治27年没、享年80歳。隠居後は号を「静山」。
 大谷治右衛門家の祖は、大谷治右衛門元勝(大谷宗家の祖・与兵衛(また彦十郎)元秀の弟)です。
 


 ハァ……武さんの歌、ほんとに好きすぎる。
 武さんで白米五合はいける……。
 いや、むしろ冒頭の一首だけで一升ぐらい軽い……。
 出来れば書画や絵付けの焼物も拝見したくて堪らんのですけど、どこかに現存していないものでしょうか……。
 拝みた過ぎて泣きそうです。(重症)



 あ、最後に。
 武さん好きすぎて書いたやつ(創作小説)が↓これです。
 「花なき鳥
 
 
 
【大谷武元次さん参考】
・二本松藩史(p420)
・二本松藩士人名辞典(p123)
・二本松寺院物語(p230)
・二本松万古焼の話(p36、81)
・福島県史㉒(p115 ※大谷武氏と大谷竹治氏と項目を分けて別人みたいに記載されていますが、同一人物。二本松万古焼の話中にも竹治と表記の箇所あり、その注釈に竹治さん=武元次さんとして紹介されています)

【大谷元良さん参考】
・帝国地方自治団体発達史 福島・山形・秋田各県版(p129)
・福島縣医襍録第1篇(p73)
・二本松寺院物語(p230)